絡まりユニオ日記

気になった映画についての覚書

ROMAメモ

・ポイント ①

飛行機のイメージシステム

最初、地面に視線を落とすカメラが水に写った飛行機を捉える。最後、空を見上げたカメラが空を飛ぶ飛行機を捉える。中盤、特殊能力を披露する先住民系の武道家が、やればできる!と手を広げる背後に映り込む飛行機。

奴隷のような毎日を送るROMAの人たちが追いかけている自由を、イメージシステムを用いて見せている。

<オープニング>

地面を擦り付けて犬のフンを掃除するクレオと空を飛ぶ飛行機の対比。飛行機の映像は水に溶けて泡にかき消されており、軽く空を飛んでいくイメージは不確かな淡い期待としてのみ提示される。

<エンディング>

オープニングで予見的にのみ提示されていた飛行機を見上げるカット、階段を登り空へ向かっていくようなクレオのシーン。実際は状況は何ら好転していないので、家族に迎え入れられることでクレオが救われたと信じたいキュアロンの希望も入っているだろう。

 

・ポイント②

メキシコの歴史を切り取る近代絵画的視点とROMAである主人公の実存的視点の接合 

この映画で多分第一印象に残りやすいのはロングショット。ロングショットで被写界深度の深い映像は近代絵画的であり、歴史的なのだが、これに組み合わせるように、クレオ視点の映像が出てくる。この点が特徴的。クレオに見えないものは観客にも絶対に見えない。全ての場面にクレオが映り込む。血の木曜日もクレオが目撃する窓から認識される。トラッキングショットも同様で、常にクレオを追いかけている。主人公の死産と先住民をオルグした学生反乱に発砲する血の木曜日が接合される。

<死のイメージ>

冒頭、小さいキュアロンの兄弟が頭を撃ち抜かれた子供を目撃した話をする。社会の中で何かが起こっていることが示唆されるが、その場面自体は映らない。クレオが見ていないから。子供は屈託無くそのことを家で話す。客観的視点とクレオの目線が混じり合っている事が冒頭はっきりする。まず犬のフンの掃除から始まり最も低いところから上空を飛ぶ飛行機を映り込ませる。

全裸で棒を振り回すフェルミンや病院の新生児室での地震と空の保育器。火事の発生。お祝いの酒注いだコップが割れるのも白い酒が床に落ち割れたコップと混ざり合う。銃で殺される男。銃をつきつきるフェルミン。死んだ赤ちゃんが生々しく映し出される。これらは全てクレオの視点であり、客観的視点と明確に対比できる。死や残酷さを感じさせるイメージはクレオを通してしか見えないようになっている。

 

 

ハートロッカーメモ

主人公が戦場に戻る前に眺めるのはシリアルの棚。これはウォーホルであり、出口のなくなった消費社会である。全てが交換価値に変換され、多数のシリアル商品があってもそれらの差異はほとんどない。このような世界の中で結婚して子供を作っても不全感が拭えない。そういう実存の問題として戦場への帰還を描いている。ブッシュを批判する歌がエンディングであるということに依拠して主人公が反戦というのは牽強付会である。というか、ビンラディンはブッシュに匿われてると歌うラストの歌はふつうに論理的に読むなら戦争さえも資本主義の円環構造の中にあることへの批判(蛇の頭がブッシュで尻尾がビンラディンすなわち、最後の歌詞「ブッシュの牧場にいるというやつもいる」のだから、牧場の所有者はブッシュでビンラディンは家畜である。)であり、ブッシュ個人を憎む歌とは言えない。そもそもレンジャー部隊にいたし、サンボーンと協力し敵の狙撃手他殺したし、トンプソンを救うとき発砲もしてるし、民間人に銃突きつけてるし、民間人の家不法侵入してそこでも銃突きつけてるし、爆弾によって米兵が殺されるシーンは二度も描かれる。さらにいえば、ラストの歌に依拠するなら最初の字幕にも依拠しなければならず、「戦闘での高揚感はときに激しい中毒になる」といっているのだから目的は戦闘それ自体である。脚本構造は「ダメな主人公がヒーローになる」男性神話ではなく、「不全感を抱える主人公が自分探しをする」女性神話である。言い換えれば、冒頭で提示された「激しい中毒」が「反戦」に「成長」するという論理は成り立たない。すなわち、ミッドポイント以降において、一見推進力となっているかに見える「ベッカム」殺害犯の追跡は代わりの子供が現れることで腰を折られている。主人公は仲間を守れていないし、子供を守るという正義感も意味を見つけられない空虚なものだ。そこにあるのはただ、戦争に行って生死の境をさまようことによる実存の充足である。主人公はその瞬間を永遠のものとすべく、爆弾の部品をコレクションしている。アメリカはファシズムに対する戦勝国であるがゆえにユンガーの再演も可能なのである。戦争の美は戦勝国の戦利品である。

【Disclaimer】

著者は「製作者の意図」を知らない。

イコライザーメモ

暗い過去を抱えた男が少女売春婦を守ろうと決意し、敵のマフィアに戦いを挑み勝利する。という表面上のストーリーやキャラクター配置はタクシードライバーに似ているが、ストーリー構造は全く異なる。

タクシードライバーは主人公がベトナム帰りで不全感を抱えて社会全体を憎んでおり、社会に適合しようとデートしたり政治に参加しようとしたりするがアプローチが独特すぎるつまり欲望の発露がアクが強すぎて人と関われないので鬱憤を溜め込みついには暴発するというストーリー軌道を描く(溜め込んだ末の暴発なので、激しい暴力は最後の数分クライマックスのみ)に対し、イコライザーはもっとわかりやすい構成をとる。主人公はみんなの保護者であり、悪が守るべきもののところに現れたらみんなを守る。ミッドポイントからはスペツナズの悪役との対決に切り替わり、悪を文字通り倒し、掲示板開設しみんなのスーパーヒーローとなる。

ストーリー構造が似てるのはむしろグラン・トリノイーストウッドは過去があり気難しいがモン族の家族を守ろうとする。少年を「漢」に育てようとするサイドストーリーも同じ。イーストウッドは撃たれることでギャング達を逮捕せしめ死んでモン族共同体のヒーローとなる。さらに、2つの映画は主人公が最後まで銃を撃たずに事件を解決する点でも同じ。

なので、イコライザーはいわゆるヴィジランティモノではなく、ストレートにスーパーヒーローモノというべき。ヴィジランティモノの重要な要素は主人公の正義感と社会常識のずれにあるはずだが、イコライザーは主人公の暴力性をみて誰かが引いたり社会を敵に回すシーンが全くない。元CIAのおばちゃんが背中を押すことはすれど、逆に引き止める(障害になる)キャラクターがいない。

 

pg12だが、ロシアンマフィアが全く怖くない。主人公が強すぎるせいもあるが、イースタンプロミスの百分の1にも満たない怖さ。

ファーゴメモ

①ブレイナードのポールバニヤンの像→各所で指摘あり省略

②マイク柳田も嘘ついてた→①に同じ


③ブレイナードbrainerd→ブレインナード頭いいやつとナード=マージとノーム

④夫婦のシーンで終わるがハッピーエンドではない「私たちは幸せな夫婦」これは他人の悲劇を見て初めてそのギャップで自分が幸せだと思えると言ってるに過ぎない。中盤マージが見ているテレビ「甲虫は幼虫に6ヶ月分の餌を運び、幼虫も成長すると同じことを繰り返します」最後のセリフ「あと2ヶ月」子供が生まれ同じことの繰り返しが始まるまでのカウントダウンがすでに始まったということつまり悲劇は繰り返される。