絡まりユニオ日記

気になった映画についての覚書

ハートロッカーメモ

主人公が戦場に戻る前に眺めるのはシリアルの棚。これはウォーホルであり、出口のなくなった消費社会である。全てが交換価値に変換され、多数のシリアル商品があってもそれらの差異はほとんどない。このような世界の中で結婚して子供を作っても不全感が拭えない。そういう実存の問題として戦場への帰還を描いている。ブッシュを批判する歌がエンディングであるということに依拠して主人公が反戦というのは牽強付会である。というか、ビンラディンはブッシュに匿われてると歌うラストの歌はふつうに論理的に読むなら戦争さえも資本主義の円環構造の中にあることへの批判(蛇の頭がブッシュで尻尾がビンラディンすなわち、最後の歌詞「ブッシュの牧場にいるというやつもいる」のだから、牧場の所有者はブッシュでビンラディンは家畜である。)であり、ブッシュ個人を憎む歌とは言えない。そもそもレンジャー部隊にいたし、サンボーンと協力し敵の狙撃手他殺したし、トンプソンを救うとき発砲もしてるし、民間人に銃突きつけてるし、民間人の家不法侵入してそこでも銃突きつけてるし、爆弾によって米兵が殺されるシーンは二度も描かれる。さらにいえば、ラストの歌に依拠するなら最初の字幕にも依拠しなければならず、「戦闘での高揚感はときに激しい中毒になる」といっているのだから目的は戦闘それ自体である。脚本構造は「ダメな主人公がヒーローになる」男性神話ではなく、「不全感を抱える主人公が自分探しをする」女性神話である。言い換えれば、冒頭で提示された「激しい中毒」が「反戦」に「成長」するという論理は成り立たない。すなわち、ミッドポイント以降において、一見推進力となっているかに見える「ベッカム」殺害犯の追跡は代わりの子供が現れることで腰を折られている。主人公は仲間を守れていないし、子供を守るという正義感も意味を見つけられない空虚なものだ。そこにあるのはただ、戦争に行って生死の境をさまようことによる実存の充足である。主人公はその瞬間を永遠のものとすべく、爆弾の部品をコレクションしている。アメリカはファシズムに対する戦勝国であるがゆえにユンガーの再演も可能なのである。戦争の美は戦勝国の戦利品である。

【Disclaimer】

著者は「製作者の意図」を知らない。